うつ嫁と適当夫が雑に生きているのです

嫁がウツで今のところ僕だけごはんがうまいのか。自分用だからもし嫁さんがこれを見つけても僕には言わないで。書けなくなっちゃう。

自殺した同級生は僕のブラック仲間であり戦友だった。死してその存在が大きくなりつづけている。

20代後半をブラック企業のドン引き労働環境で無駄にすりつぶした僕は、友達との交流が極薄になり、いまではほとんど友人がいない、リアルぼっちと成り下がりました。

そんな僕にも、大学時代には致し方なくお互いに戦友となった友人がいました。いました、と過去形なのは彼が自殺して先にこの世とおさらばしてしまったからです。

私は大学に、学部に7年通いました。3留です。非常にレアな学生だったと思います。私の戦友たる彼も同級生で3留でした。40人くらいの小さな学科でしたが、3留してしまったのは私と彼の2人だけ。理系の落ちこぼれなんて、協力しあわなければ課題がクリアできずに、そのまま脱落してしまうので、協力しあえるクラスメイトはとても大事でした。彼がいなければ単位を落とし続け卒業はままならなかったと思います。そういう意味で、私と彼は戦友だったのです。

彼は広いアパートに住んでいて、なぜか何人もの同級生が勝手に住み着いていた

また、彼は弟と同居していたのですが、2LDKという二人暮らしにはちょっと広い部屋に住んでいたため、彼の家には私を含め多くのクラスメイトが入り浸り、住み着く魔窟と化していました。かく言う私も、ニトリで布団セットを買い込み、一週間は暮らせるだけの着替えをおいて、自宅ではなく彼の家で生活をしていました。スーパーで食材を買い込み、大鍋料理を勝手に作り、米を炊いてガヤガヤと適当に飯を食う。同じ釜の飯をくったという意味でも戦友だったのです。

彼は心の病気だった、そしてサボり仲間だった

そんな戦友は、心の病気でした。今でこそ、うつの嫁さんのお陰で精神の病についての知識がありますが、当時はまったくなく、なんか変な薬飲んでるなぁ。元気ないときが多いなぁ。というくらいの認識です。今思い返せば完全なる鬱で、あまり良くない状態だったと思います。

ほぼ昼夜逆転。夕方頃に起き出して、永遠と東方で弾除けをし続けるという、21世紀初頭の大学生として実に正しい引きこもり方をしていました。彼の東方エンドレスプレイのお陰で、東方を今日まで一度もやったことがない私の脳に、ZUNのゲームミュージックを刷り込んでくれました。そういう意味では、彼は今も現世に影響を及ぼしていると思います。

僕がブラックに染まったとき、彼は家を出て車上生活をしていた

僕と彼は親友ではなかったが、離れていても戦友だったのです。

僕が30連泊勤務でボロボロになっているとき、彼はお母さんが始めたパン屋さんから飛び出して、オンボロマイカーの中で寝泊まりし、ガソリンスタンドでバイトして生きるという、それはそれで厳しい生活を送っていました。

年に1度くらいしか連絡も取らないし、会いもしなかったのですが、根は真面目な彼は職場が求める限り仕事をしてしまい、ほとんど休みがない状態でした。そしてブラックな職場は限りなく仕事をさせてきます。そう、戦友は社畜という名の捕虜生活を送っていたのです。

私よりも遥かに真面目な彼に、捕虜生活は大変に厳しく、急速に彼の精神は削れていったのです。

東北の地で彼は一人ぼっちだった

たまたま私が久しぶりに彼に連絡をしたら、彼はいつの間にか地元ではなく東北に引っ越していた。相も変わらず休みなく働いているようだったが、アルバイトから正社員になったようで、字面としては充実というかまっとうな生活を送っているように見えた。そう、字面では。。。

彼の葬式には、会社の上司は来ていたが、会社の同僚・現地の友人は一人もいなかった。彼は東北の地で新しい友人を作ることができず、数年間ひとりぼっちだったのだ。友人もおらず、休みもなく長時間仕事だけの生活が、どんなに虚しく辛いか。ブラック仲間として片足を突っ込んでいた私にはゾッとするほどやばい沼だとしか言えない。

なんで自殺したかは今もわからない

結局なにが引き金で自殺というだいそれたことをしたのかは今もわからない。この先も多分わからないんだろう。もしかしたら女性関係かも。というくらいの情報しかつかめなかったらしい。年単位で連絡をとっていなかった私には、情報がまったくないのだ。

僕にとって彼の自殺はとても大きな出来事として、どんどんその存在が大きくなっているように感じている。大きくなってきているから、怖くなってとりあえずテキストに吐き出している。

僕は小学生の時、母親が病死したあと、しばらくあとの夏休みに死ぬということがめちゃくちゃ怖くなって家の床に数時間、座ったまま動けなくなったことを今も覚えている。あのまま恐怖を感じ続けていたら、人格はいまと大きく違ったはずだ。その時の僕は、お腹がへったため冷蔵庫まで歩いた。歩けた。食欲は偉大だ。

彼と最後にあったときは、一緒にラーメンを食べた。彼に、東北でラーメンを一緒に食べる友達がいたら自殺はしてなかったと思う。もし今後、あぶなそうな友人がでたら、おいしい飯を一緒に食べようとなんとなく考えていた。そうしたら彼の弟が危なそうだという情報を掴んでしまった。少し時間をあけてしまったが、先日一緒に寿司屋のカウンターで好き放題飲み食いできた。またしばらく経ったら誘ってみよう。